2026年3月1日 「田舎育ちの独学高卒画家」

2026年03月01日 00:00
カテゴリ: 点描画家日記

3月になりました。

みなさん、お元気ですか?

わたしは元気です。
地元山口県から、フグヒレをいっぱい取り寄せました。毎日のように自宅で気軽にヒレ酒が飲めると思うと、幸せです。

さて、わたしは絵を描いている人ですが、絵を描くわたしは時々考えることがあります。

それは「学歴」についてです。

わたしの最終学歴は「高校卒業」。

どうしてデザインや美術系の大学を出ずに高卒なのかというと、一番大きな理由は「10代の全てを貧困な環境の中で過ごしていたから」です。

わたしと絵の関係が理解できると思うので、ここで少し昔の話をします。

絵は幼少期から中学3年生まで毎日のように描いていました。わたしにとって「絵」が一番の親友と呼べる存在でした。

小学生になると市や県から賞をいただくことが増え、小学4年生の時にはローカルなTV番組からインタビューオファーがきたこともありました。

インタビューをもらった当時は、両親が離婚したばかりで裁判で揉めに揉めている真っ只中でした。

私たちを引き取った父は、祖父のつくった借金の返済と裁判費用でお金がとことんなく、一家は家にお風呂がない超ド貧困の中で生活していました。

インタビューオファーを受けることになった絵は、そんな中で絵の具セットが買えず、工作の時間に隣の席の子に使わない色の絵の具をちょっとだけかりて、マッキーと朱色の絵の具1色と水だけでなんとか描いたものでした。

大人たちは「赤色じゃなくて朱色なところが素晴らしい…!」とワイワイ言っていたけれど、朱色しかなかったんです。

わたしの心の中は「貧乏が世間にバレる!」ってことと「別れてどこかにいる母にTVを見られたら恥ずかしい!」という思いから、絶対にTVなんて無理!!とオファーを断ることになりました。

そして、中学3年生の時には絵画部の部長をやらせてもらい、高校3年生の時には担任から美術系大学への進学を勧められ、それを貧困家庭が理由で当たり前に断り、就職を選択しました。

高校を卒業してからも先生からの美大進学アタックを受けましたが、美大へ行くことの憧れは強くあったけれど、現実問題で進学という選択をすることはできませんでした。

そういった経緯があり、絵で何かを伝えることが得意な少女だったとはいえ、わたしの最終学歴は高卒となっております。

そうなると、わたしは自動的に美術界では独学というポジションにつきます。

画家になるためには学歴なんて必要ないのですが、生きていると「やっぱり学歴があった方が楽だな〜、美大を出た人はいいな〜」と思ってしまう場面があります。

どんな時に『美大を出た人はいいな〜』と思うかと言えば、大きくは3つあります。

一つ目は、学歴を聞かれた時の返答が面倒臭いとき。

二つ目は、技術・人脈・機会をゼロから築く大変さを実感したとき。

三つ目は、美大ではきっと…という空想がモクモクと浮かんできたとき。


一つ目については、日常生活の中であったり展覧会であったり「絵を描いてます」と発言しなきゃならない場面があるのですが、学歴をきいてくる人がとても多いのです。

"どこの大学を出たのか"
"どこの団体の展示に出したのか"

この質問をする心理は、第三者が評価したからこそ持っている学歴や受賞歴を確認することで、目の前の人が他者が認めるほどの人間なのか、それとも自己評価が高いだけの可能性がある人間なのか、作品を見る前に安心材料として心の中に持っておきたいから聞くそうです。

なので、わたしが高卒であることを伝えると"学がない"と思うことによって、相手の表情がガラッと変わることがあります。

それは、先に作品を観てから学歴を確認してくる人と、作品を観ていないで学歴を確認をしてくる人とで、反応は全く違います。

前者は、ほとんどの方が目をまんまるにして『あなたがコレを描いたの?!独学で?!』と驚いて、恥ずかしくなるほど賞賛してくれます。

後者は、子どもや孫や飼っている犬や猫の写真を見せられる危機を感じて「ダルッ!」って思った時と同じ顔になります。

そんな顔をしながらも、だいたいの人が
「え?!そうなの?すごーい!わたし(おれ)絵心なくて〜!絵が描ける人ってすごーい!尊敬する!見たい見たい〜〜!見せて見せて〜!」…がだいたいお決まりで、言っている瞳の奥は灰色に濁っています。

わたしは言葉や仕草から、人の裏側の感情に気づくことが多くあります。

「俺様がお前を評価してやる」っていう感情を隠している人だったり、「昔わたしも凄い大きな賞をとったのよ!あなたなんかより凄いんだから!」と言いたくて仕方ない人だったり、身内や知り合いの名前を出して「お前なんか大したことない!本当の才能ってのはお前みたいなのじゃない!」とか言いたがってる人には、絵を見せるのをはぐらかします。

「いやいやいや見せない見せない。照れるし、また今度。」とか言って、何が何でも絶対に見せません。

誰もが黙るほどの芸術系の学校を出ていれば、水戸黄門のように「静まれ!この学歴が目に入らぬか〜!!」って学歴を見せつけてやるんですけどね。

浅はかな人々を黙らせて蹴散らすには、大きな学歴が一番効果的だと思う時があります。


二つ目の「技術・人脈・機会をゼロから築く大変さ」については、活動を続ければ続けるほど出てきます。

無知を知らされた時の恥ずかしさは、学校で受動的に知識を与えてもらえていたらこの失敗は免れたはず…とか、考えたりします。

その他には、個展やグループ展へ足を運ぶと、作家達の大学同期や、そこから広がる同年代の仲間がわんさか来ていたりすると、集客力からズギャーーーンと心をやられたりします。

聞こえてくる会話の内容もキラッキラしていて、学校や親から大切に育てられているオーラがあり、住む世界のギャップに凹むことがあります。

授業で得られる知識や、先生からの紹介、大学でできる人脈や展示の機会といったことは、美術界をスタートダッシュで渡るための情報へアクセスできる権利。進学したから得られるものです。

数百万円と引き換えに知識や技術やアクセス権をドカッと得るのか、時間と引き換えに自分の力で情報や知識や技術をコツコツと身につけていくのか…。

独学の迷いの一つです。


三つ目は、やはり時々「美大ってどんなところなんだろう?」「美大で何を習得できるのだろう?」という憧れの想いが、モヤモヤと頭に浮かんでくることです。

経験すればこのモヤモヤはなくなります。



でも、最終的に残るのは作品。

美術教育を受けずに評価されている画家は山ほどいます。

先日も、会社勤めをされながら独学画家として活動している方の個展を東京に観に行きましたが、才能は学歴ではかることができないことは、わたしの中で証明されています。

丁寧に綺麗なものを作れることは前提として、その確かな技術力と同じくらいに大切なことは「人柄」「謙虚さ」「素直さ」「社会性」などの「人間力」だとわたしは思っています。

学歴や受賞歴はスタートダッシュを助ける道具で、受賞歴などの他者からの評価や肩書きが活動をしていく上で必要になれば、賞のある公募展へ応募すればよいと思っています。

画家として絵を作って売っていくことにしても、美術界隈に名の通った師匠から習っていなくても、画廊と契約しなくても、どこかの団体に所属しなくても、

・SNS発信の普及
・個人のネット販売サービスの充実
・オンライン展示
・インターネットでの業務受注

などが利用できるようになったおかげで、ルートは一つではありません。

「画家を目指すならこのルートを進まなければ一人前ではない!独自のやり方はダメだ!」っていう、そんな考えの世の中ではないです。

自分が決めたゴールに到達するために、学歴も、人付き合いも、仕事の進め方も、心の在り方も選んでいけたら、それが大大大正解の道だとわたしは考えています。

なので、ゴールまでの道中の今現時点では、わたしはこの学歴で問題はありません。

今は、無課金で無知の状態から少しずつ装備を拾っていくような感覚で渡り歩いている日々が、ゲームのような感覚でとても楽しいです。

語らないと見えないけれど学歴の裏には物語があるので、わたしが高卒独学を選んだことは、親や家族に苦労をさせたくないという「優しさ」や「思い遣り」で、そういう人間性が若い頃から持てていたことは誇りでもあります。

だけど、人生の道のりはまだまだ長いので、道の途中で『いや!これはわたしは技術を徹底的に学びに行くべきだ!!』と思うような分岐点に立つことがあれば、デザインや美術に関係する学校に通うかもしれません。

道は一つじゃないし、どうせ一度の人生。どうせみんな最後は灰になるって決まってるんだし、灰になる前までは好きに生きていいんだから。

わたしと同じように、家庭環境や学歴で10代・20代のうちから人生を諦めてる若者がいるならば、そういう人の勇気や道標になれたらいいなぁとも思っているところです。

長々と話しちゃったな。
それじゃあ今月はこのへんで。
またね〜

みいけ

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