わたしは長い間、ある歌手のファンなのですが、この度、その歌手をファンとして追いかけることを卒業することにしました。
それは、どこか肩の荷が下りたような、でもちょっと寂しいような気持ちでもあります。
私がその歌手を好きになったのは19歳の頃でした。
当時、1つ年下の男性と付き合っていたのですが、彼の大学進学をキッカケに遠距離恋愛になりました。
遠距離になると、彼は颯爽と新しい彼女を作り、私は別れを告げられてしまい、毎日泣いて過ごしていました。
そんな私を慰めてくれたのが、その歌手の歌声でした。
悲しみを柔らかなベールで包み込んでくれるような温かさ、心に積もった埃を吹き飛ばすような力強さ、海の底に落ちたダイヤモンドのように暗闇で輝きを放っている歌声。
私は、その歌声にとても救われました。
それからは、テレビ出演時には必ずチェックし、ライブへは足を運び、新曲が出れば熱心に聴きました。
私が追いかけていたのは、その人自身というより、芯を感じる歌声だったのだと思います。
ところが、2015年頃からでしょうか。私は少しずつ、歌手の歌声に変化を感じるようになりました。
「今日は体調が悪いのかな。」
「忙しくて疲れているのかな。」
そう感じてしまう声の不調さ。
「次のライブではきっと…」
「次の新曲ではきっと…」
『次こそは声が元に戻っているはずだ』という、そんな期待を抱き続けていたら、気がつけば10年が経っていました。
最近になって、ご本人からご病気をされていた時期のことや声について語られる機会もありました。
その話を聞いて、「きっと本人も元のように歌いたいと願っているのだろう」と私は受け止めていました。
だからライブへ行くたびに、
「今日こそは…!」
と願い続けていました。
ところが、先日行われた東京のコンサートへ足を運んだのですが、私はあることに気づきました。
私が「以前とは違う」と感じていた歌声を、ご本人は「今の自分の表現」として大切に歌っているように見えたのです。
その瞬間、
「ああ、私と歌手本人では見ている景色が違うんだ」
と感じました。
どちらが正しいという話ではありません。
歌手は今の歌声を肯定し、新しい表現として歩み続けている。一方の私は、あの頃の歌声をもう一度聴きたいと願い続けている。
向かっている場所が違っていたのです。
そこで気づきました。
私は今のその人のファンではなく、あの頃の歌声のファンだったことを。
そう気づいた瞬間、心がとても軽くなりました。それは、
「今回こそは…」
と、期待を抱き続けてきたから。見守ることを終えることができたからです。
もちろん、これまで与えてもらった感動が無くなるわけではありません。人生でしんどい時も調子の良い時も寄り添ってくれた歌声は、これから先も私にとって大切な宝物です。
だからこそ、私は今の歌手を否定したいわけではありません。
私が求めているものと歌手が届けたいものが、この10年の間で違うものになっていた。それだけなのだと思います。
人は変わります。
歌手ならば歌声も変わります。
私のようなファンも、ライフスタイルなどで心境や好みは変わります。
長く応援していればいるほど、歌手の変化を受け入れられる人もいれば、私のように昔の作品だけを聴き続けることを選ぶ人もいるでしょう。
それもまた、一つのファンの形なのかもしれません。
SNSやブログでは、私と同じように、声に対する違和感を書いている方を何人か見かけました。
その文章を読んだとき、
「私だけじゃなかったんだ」
と安心しました。
だから今回は、誰かを否定するためではなく、自分の区切りとして、文章として書きました。
あなたにも、長年好きだった人や作品から離れた経験はありますか?
もしそんな思い出があれば、いつか聞かせてください。
じゃぁ、また来月!
またね!
みいけ